・チャットネタ
・佳主馬が女体化しています。苦手な方はご注意。
・佳健要素がそろそろ濃くなってきました&オリキャラ注意。
夢は庭付き一戸建て
郊外の一軒家は白い壁をしている。煉瓦色の屋根のごく有り触れた郊外の一戸建て。庭には手入れされた芝生が広がり、犬が蝶々を追って駆け回っている。明るい茶色の背中の毛と白い腹をした犬は、割と身体の大きい柴犬だ。
窓の外に広がる景色を目に入れて、顔の向きを室内に戻した。面積はさほど大きくない。アイボリーのソファとAV機器、PC台に書棚、おもちゃ箱、テーブル程度の家具が丁度良い塩梅で収まってしまうリビングダイニングはこじんまりとした方だ。だが都心にほど近い一軒家となれば、こんな物だろう。ささやかな庭と部屋を見渡して、健二は満足を覚える。
のそのそと書斎から出てきた健二は、新聞を片手にソファに座った。見通しの良いリビングのくつろぎスペースからは、台所で食事の支度をする妻の後ろ姿がよく見えた。
新聞を広げ、読み進める。時事欄に目を通したが面白い記事もなく、世の中変わったことなど何一つもないようだ。
穏やかな部屋に満ちるのは、鍋がふつふつ煮える音、新聞を捲る摩擦音、かりかりかりかりという鉛筆を走らせる音。
静かな空間に、がちゃりと玄関の扉を開ける音が遠くから響いた。ついでばたばたと元気な足音。
勢いよく駆け込んできたのは、小学校低学年くらいの男の子だった。飛び込むなり叫ぶ。
「母さんけんぽう教えて!」
「いいから手を洗っておいで」
母親の叱責にも瞬時に洗面所に飛び出し、すぐさま風の子のように駆け込んできた男の子は、いささかその勢いのよすぎるままに母親の腰に抱きついた。
「ただいまぁ」
「おかえり」
へにゃと笑って挨拶する。
母親の顔も僅かにほころぶのを見て、息子の方も嬉しそうにぐりぐりと艶やかな黒髪にくるまれた形の良い丸い頭部を押しつけると、懸命に話しかけた。
「この前、何人かうちにアソビに来たでしょ。あのねぇ、今日学校でね、『お父さんかわいい、お母さんカッコよくていーね』って言われたんだよ」
その通りだよなぁ。
父親である健二は無言で頷いて、深く同意した。
佳主馬は格好イイ。キングカズマとしての格好良さは別として、佳主馬自身がもう格好イイのだ。
操るアバターの全世界的な凛々しさやシャープな技のキレや風格といった、万人を優れて惹きつけるカリスマと違って、彼女自身の格好良さはかつては健二だけに向けられる健二の占有物だった。今はそれを彼女と血をわけた息子とその友人がわかっているというのもこそばゆい話だと、頬を緩ませる。
(それは大歓迎なんだけど……)
だが三十路も過ぎたしがない研究者を捕まえて可愛いとはどういうことか。健二は憮然とするが彼の妻は新聞紙の陰で息子に夫の愛らしさを自慢していた。
「当たり前だよ。健二さんなんだから」
「お父さんだもんねぇ」
えええそれでいいんですか佳主馬さん。
驚愕の目を向ける健二が気を取り直した頃には、会話の話題は最初に戻っていた。
「ねぇ、少林寺教えてー」
「ご飯の後でね」
「えー」
「こら健己(たけみ)、危ない」
じゃれつく息子の頭を押しやる妻は淡々と「危ないから、あっち行って」と諭す。
「ご飯できるから。それまではソファだよ」
「はーい」と良い子のお返事と裏腹に、寂しがりやで甘えたな息子は距離こそ拳一つ分開けたもののエプロンの端を握っており、慣れた物で母親も「ハヤブサも入れておいて」などと言いつけながらそれをそのままにしていた。
食欲をそそる匂いが漂ってくる。数学の問題のために気もそぞろでごく少量の朝食を納めただけの健二の腹がきゅうと鳴いた。
「それにしても、ほんっとに稽古が好きだね」
「うんっ。だってかっこいーもん」
母親の淡々とした揶揄に、息子は素直に返した。
きらきらと彗星のように輝く目が、実業家でありネットファイターであり拳法家でもある母親に向けられているのは明らかだ。
軽く肩をすくめて鍋に向き直ったところで、小磯達の長男は「あっ」と思い出したように悲鳴を上げた。
「なに」
「ごめんね! この後サッカーに行くヤクソクだったんだ。稽古できないぃぃ」
稽古だけは漢字で書ける。
そんな一点集中型の息子が眉尻を下げつつあっさりと翻す有様は、なんていうか、まさしく父親譲りだった。
(折角佳主馬くん譲りの美貌と運動神経を備えて生まれたのになぁ)
健二はそれで落胆することもないけれど、変な弱気な性質を植え付けてしまった気がする。
悪いことしちゃったかもなぁ、と眉を顰める。伴侶は息子の性格をことのほか気に入っているらしいけれど。
ちなみに息子の家族に対するざっくらばん加減は、おおよそ自分の佐久間に対する遠慮のなさと同質だとこっそり健二は思っている。
萎れる息子の頭を、妻はわしゃわしゃと掻き混ぜる。
「まぁいいよ。折角誘って貰ったんだから、元気良く遊んでおいで」
「うん。うー、でも稽古……」
「それは明日でも出来るだろ。教えてあげるから」
唸る息子は本当に稽古が好きで、その理由が母親を自慢に思っているからだけではないことを健二は知っていた。
「妹を、家族を守れる男になりたいんだ」
そう遠くない以前の宣言。終始控えめではにかみ屋な彼にしては珍しく、誇らかに歌い上げていたものだ。
その願いが、小磯家の二人目の子供であり、幼い彼のただ一人の妹を思ってのことだと知り、健己もここまで大きくなったかとしみじみ感慨したことを即座に思い起こせる健二も大概ただの父親である。
「うん」と素直に頷いた息子の視線が、リビングの父親と妹を捉えた。
先刻の母親の教え通りぴゅーっと駆けてきたので、新聞を丁寧に畳んで脇に置く。ローテーブルの下をくぐった息子は、ソファの一角にぴょんと身軽に飛び乗って笑った。
「ただいま、お父さん」
「うん。お帰り」
ふにゃりへにゃりと笑顔を向け合う父子。
息子の目が妹に向かい、健二も視線を追った。下の子は日の当たる窓際で床にぺたんと座り込んで、一心不乱に問題を解いていた。
かりかりかり、と続いていた音がふと止まる。
僅かに眉根を寄せて数秒考え込み、立ち上がるとぽてぽてと寄ってきたので健二が一人分ずれると、空いたスペースにすとんと座って問題集を差し出してきた。
無言の要請だ。
ああ分数か、これはクリアが難しくなるんだよな、と納得して尋ねる健二にも微妙にこの手のステップアップに若干手こずった覚えがあるだけに、否そうでなくても、可愛い娘に教えることは大歓迎だ。
「眞子(まこ)?」
「これ」
教えて、と単語で零した娘の無愛想さにはいっこう構わず、健二はいそいそと自分の筆記具を取り出すと懇切丁寧に解説を始める。
「ああ、ここはね。通分して、それから計算するんだよ。かけ算とまざってるからって、惑わされてはいけない。注意深く、かけ算わり算と、足し算引き算の順番を、見分けるんだ」
真剣な顔で手元を覗き込んでいる。
娘の顔は健二の幼い頃に、良く似ている。
幼い頃と似ていると言うことは、長じてもさして変貌を遂げなかった現在の健二の面影があると言うことだ。それでもぱっちりと大きな眼に、ふわふわとした髪のひと房をポンポンゴムで結っているのがよく似合っているところは、間違いなく女の子だ。可愛い。
そんな娘の顔も、数学を前にすれば吸い込まれるように真剣な表情に変わる。友人や親戚に曰く、「父親にうり二つ」の貌だ。
健二の声をBGMに、息子は天井近くから床すれすれまである大きな窓を開ける。ほぼ地続きの庭から尻尾を振って駆け寄ってきた柴犬を抱き留め、太陽の匂いがする体毛に鼻先を押しつけた。ぎゅっと首に細い腕を回す。
「しーっ。しずかにね。お父さんたちがシンケンだから、大人しくしていてね」
声を潜めて耳打ちすると、柴犬ははっはっと息を吐いて頷いた。
日溜まりの溶けた室内に、穏やかな健二の声が響く。
「かけ算が先だから、前二つの数字を計算して分母は6。この時点からは引き算だから、最後に残った分母の8との公倍数を考えると」
「24」
「その通り。あとはこの二つを通分して計算すれば、答えは出るよ。やってごらん? …………そうそう、それであってるよ。あとは――そう、約分だね。うん、間違いないね」
「よくできました」と笑いかける健二の目が、柔らかく撓んだ。
娘の顔がわかりづらく、微妙な角度からしか判別できない程度に満足さと、まだまだ足りないという挑戦心を表情に載せる。
「わかった……とおもう」
「もう大丈夫?」
「……ん」
頷いた娘が、瞳に挑戦心を載せたまま、はっきりこれとわかるほどに小さな唇を弓なりにしならせる。同時に大きな目元がふっと緩み、小さな唇が赤い野薔薇の蕾のように綻ぶのは、まさしくぱっと華が開いたようだ。
「ありがと。あとはじぶんでがんばるから、ほっといてね」
「うん」
ぽえっと見惚れる息子を視界の隅に納めながら頷いた健二は、笑って尋ねた。
「算数、楽しい?」
「うん、すっごく、たのしい」
小学三年生用の問題集を胸に抱きしめながら、4歳の娘は頬に朱を昇らせて、嬉しそうに頷く。覚えのありすぎる感情に健二も深く頷いてしまう。はっと我に返った息子があわあわと「ぼくも! しゅくだい!」と叫んで子供部屋へととって返す。主人一家の息子を見送った柴犬はローテーブル脇の定位置で丸くなった。
「まったく」
忙しない、とごちた妻が振り返って笑う。
「健二さん、もう昼食出来るよ」
「わかった、テーブル片付けとくね」
新聞を持って立ち上がりながら、妻を見ると、清潔なエプロンを蝶結びにした後ろ姿が、煮込みラーメンを器に装っていた。冬場のストーブに暖められているかのような温もりだが、現在は春である。心の深いところまで満たされているのを感じて、幸せだな、と当たり前のように思った。
■■■
目覚めたら視線の先に佳主馬の整った面差しがあった。
頭の下には柔らかい感触。
首筋から背中をくるむ妙に居心地のいい体温に意識を絡め取られそうになりながら、健二は辛うじて声を絞り出した。
「…………どうして膝枕されているんでしょうか」
「したかったから」
したかったからって。
起き抜けであることも手伝って咄嗟に言葉が出てこない膝上のひとに、佳主馬は小首を傾げる。
「何、する方がよかった?」
「滅相もございません」
そう、と軽く頷くと、呆然と状況を甘受する健二を見下ろした彼女は目を合わせ、ふっと微笑む。
「っ」
「好きな男(ひと)を膝枕するのは女の夢――でしょ?」
微笑を直視して頬を染める初心な大学受験生に、健二さんでもそれくらい知ってるでしょ、と愉悦の滲んだ声が降ってくる。
「え、あ、」
えうえうと言葉にならない音を発する。寝起きに出くわしたまさかの事態に動揺を取り繕えない。
佳主馬は困った顔になって言った。
「そんなに慌てないでよ。……健二さんの方も、さ。こういうの夢だったんじゃないかって思ったんだけど。男の人ならすべからく女の膝枕を喜ぶ、って師匠も言ってたし」
髪を撫でながら佳主馬は淡々と続ける。
「健二さんここの所受験勉強で疲れてるみたいだったから。でも僕なんかの膝枕じゃ硬いし気持ちよくないよね。ごめん」
「そんなことないよ!」
僅かに自嘲が滲んだ調子に、咄嗟に声を張り上げた。
「そりゃ、確かに硬かったし頭を動かすとゴリゴリ当たるけど! 肌にハリがあるし、引き締まった筋肉を薄く脂肪がくるんでて、なんていうの、芯のしっかりした低反発素材? みたいな感触だし、総じて言うといい感じに柔らかいっていうか。それに、あ、あったかいし……」
何を言っているんだ俺。
途中で我に返って、変態じみた発言に内心頭を抱える。顔が熱い。いたたまれない。
(思春期の女の子になんてことを…っ)
あっけにとられて聞いていた本人は、真っ赤になっているだろう自分を見下ろす。
「…………」
「…………」
降り積もる沈黙。
罵倒されるかな、されるよな。戦々恐々と反応を待つ健二に、じわっと嬉しそうに綻ばせた。
「そう。気持ちよかったんだ? ならよかった」
なんて健気な。
うっかりぐらっと来てしまうからやめて欲しい――っていやいやそうじゃなくて。
(いやいやいやいや。冷静になるんだ、俺っ)
首筋に直に触れあう素肌の感触にときめいている場合じゃない。
(相手は中学生だから!)
そもそも親の居ない自宅で彼女と二人っきりという状況に危機感を覚えるべきなのだが、健二に思い至る気配はない。佳主馬と出会って一年数ヶ月、すっかり彼女が頻繁に訪問するのを許している健二だった。
なんとか平常心を取り戻して頬の赤みも引いてきた健二を嬉しそうに見つめていた佳主馬は、ふとキッチンの方に目を遣ると、健二の頭部に手を掛けた。
「ああ、夕飯の時間だから。支度するから頭浮かせて」
「へ」
「台所借りるけどいいよね?」
「あ、うん。はい」
言われるままに背中を浮かせた隙間からしなやかな動作で床に降り立った。
寒さに負けず着用しているショートパンツから伸びる綺麗に引き締まった脚を見て、あの脚に構って貰ってたんだよなぁ、と赤面する。
ぼーっと見ていた健二は、エプロンを蝶結びにしながらキッチンに消える背中を見て、先程の夢を思い出した。
……今度こそ頭を抱える。
あれが願望だったりするのか。そんなまさか。膝枕より過激じゃないか。
(予知夢って可能性は…うん、考えないでおこう)
佳主馬関連では虫の報せや予感がよく当たるのだが。非科学的なコトはナシの方向で。
(よし、大丈夫だ。平常心平常心)
佳主馬の手料理を待ちながら素数を数えよう。確か今日の夕飯は――煮込みラーメンだ。
ことことと煮込む音が届く。決して一人では食べない料理を待ちながら、なんだか新婚さんみたいだなぁ、通い婚だけど。と素数の合間に過ぎった思考がだいぶ絆されていることに、残念ながら健二は気付かなかった。
(おまけ)
「あ、健二さん。今度ウチで犬飼うんだけど。ハヤテのひ孫」
「!?」
――戦争状態をそろそろ思い出すべきだと悟った、小磯健二18歳の冬の出来事だった。
あの会話が全て佳主馬の膝の上で語られていることに、健二さんは気付くべきだと思う。