蝉時雨が間断なく鼓膜を叩く夏、大輪の花弁の合間を縫って、その声は耳に滑り込んだ。
「結婚して下さい」
佳主馬は真顔だった。一拍遅れて意味を理解した健二は、発言者をまじまじと見つめ返す。
何を言っているんだろ、そろそろネット廃人になっちゃったのかしら。
早朝の日差しが彼の小麦色の頬を照らしていた。年下の恋人は――といっても随分曖昧な状態が長く続いたのだけど――大真面目だった。
上田の屋敷から徒歩で一時間程。
澄み渡った快晴の下、連れて来られたひまわり畑のど真ん中で告げられたプロポーズに、健二は不思議そうに小首を傾げる。
「結婚って人生の墓場って言うよね…?」
「うん。それでも俺と一緒に飛び込んでよ」
自信満々なようだが、真夏にも関わらず額に冷たい汗を掻いていた。健二はそれを見逃さない。
(ふうん、)
散々待たせておいて急に現実的な話、だなんて。存分になじってもいいのだけれど。
思案しながら年下の恋人を見遣る。健二に墓参りの記憶は薄いけれど、彼には毎夏お参りしていずれは自分自身も入ることになる立派なお墓があるのだろう。池沢家の方に入るかもしれないし、陣内家の墓に名を連ねるのかもしれない。どちらかといえば、健二はそっちの方がいい。
ならば、と口を開いた。
「じゃあ、正真正銘墓場まで連れて行ってくれる?」
死して尚その先まで、連れて行って貰わなくちゃ。待たせた分はそれで許してあげよう。代わりに骨まで愛して欲しい。
僕も、佳主馬くんが骨になっても愛するからさ。
いつの間にか健二の心は温かくなって、返答を予期して羽より軽く浮かれている。
仄かに笑い出したくなる気持ちを抑えながら小指を掲げると、佳主馬は緊張に強張った顔を綻ばせ、躊躇わず絡め返した。
あの夏を経験した彼等には、小指は特別な意味を持つ。栄と侘助を、夏希と健二を、世界中の人々を繋いだ家族の絆。その始まりの結び目。
するりと解くと掌ごと持ち直して、佳主馬は素早く取り出した輝く銀の輪を通す。ぴたりと薬指の付け根に嵌って、結び目が改めて繋ぎ直された。
小指も絡め直されて、これで二人の掌は雁字搦め。体温に染まる婚約指輪に、じわりと実感が湧き上がる。
こんな平凡な奇跡が、訪れるなんて思ってもみなかったのに。
喜びを隠そうともしないでいる来世まで連れ添う人を見上げて、健二は嬉しさを噛み締める。二人分の汗が溶けて、健二の薬指の輪に流れて消えた。そのまま染み込んでしまえばいい。金属なら火葬でも大丈夫。
「一緒にお墓に入ろうね」
「気が変わっても逃がさないから」
余裕ぶって不敵に言い切る佳主馬は、やっぱり王様らしくて、数学に愛されたかつての少女は素直にはにかむ。
十年一巡、真夏の夢のエピローグ
長野は上田市、一刻前に朝日が昇ったばかりのひまわり畑にて。
世代が替わる度に重ね直される結び目を繰り返して、恋人たちは目と手を合わせて笑った。
佳主馬に出来る精一杯のロマンチックなシチュエーションにこれっぽっちも気付いてない健二。だがそれがいい。結果オーライでよかったよかった。
帰る場所、すなわちあなたの隣。とかけて、還る墓所と解きましょうか。というお話でした。