2009年クリスマス企画でした。12/21〜12/25にかけて更新。公開は12/25 〜23:59でした。

 →健夏
 →ウサリス
 →ウサリス〜サクマver〜
 →佳健(未来)

















健夏



 健二は広場の中心で夏希を待っていた。
 白くけぶる息。微かに紅潮した少年の横顔がイルミネーションの光に照らされている。紺のダウンを纏った痩身が、幻想的な光の鱗粉を微かに掛けられたように、淡く光っていた。細い指が毛糸で編み上げたマフラーを口元まで引き上げる。
「健二くん!」
 名を呼んで夏希は手を振った。大声での呼びかけに振り返った彼は電光で飾り立てられたツリーを背にしている。ふわっとほころんだ姿は儚くて夢の中の住人のようだが、間違いなく現実の住人で、イブを共に過ごそうと約束した夏希の彼氏だ。
 駆け寄って息を弾ませる。第一声は素直に見たままを言った。
「健二くん、綺麗だった」
 特別素敵なものでも目にしたかのように微笑する。その顔を直視して健二の方が赤面した。
「行きましょうか」
 顔を赤くして言うので、夏希も「うん」と言って手を繋いだ。

 今日は二人でクリスマスイベントに行く予定だった。夏希が前期まで所属していた生徒会での後輩が参加している合唱団の、聖夜コンサートを見に行く。夏希も例年ならクリスマスは家族で過ごすところだが、コンサートの無料チケットを譲られたので行くことにしたのだ。
 家族の時間を気遣う健二に、夏希は茶目っ気を見せて言った。
「お父さんとお母さんにも仲良くして欲しいしね。あの事件で、夫婦の大切さに改めて気付いたみたい。元々仲良かったけど今では新婚みたいなのよ? 二人きりで喜ぶくらいよ」
「なら、よかったです」
「コンサートまではどうしよっか。夕食…」
「あの、前もって予約してあります。良かったら、そこで」
 携帯片手になんなく言い切る健二に、「凄い!」と声を弾ませた。
 コンサートは八時からなので、予約しておいた店で先に夕食を済ませることにした。家庭的な雰囲気のお店は佐久間に手伝って貰って決めた所謂穴場だ。
 クリスマスディナーは健二にとっても初めてのもので、チキンを盛った皿を前にこんな感じのセッティングで良かったんだろうか、と戸惑った。が、杞憂だったようだ。高揚したようにうっすら頬に血を上らせくすくすと肩を揺らす夏希にほっとする。
 この日の夏希は綺麗だった。丁寧にとかした髪がキャンドルの灯を暖かく照り返し、耳朶には雪の結晶を象った小さなイヤリング。真っ白いファー付きのダウン。その下は明るい水色のセーターで、やっぱり夏希先輩は白や眩しい色が似合うな、と好ましく思った。
 コンサート会場は教会だった。ゆらゆらと揺れる暖かな灯。聖夜を彩るキャンドルの色が、今日はずっと健二を包んでくれていた。
 前で横一列になって歌う合唱団を前に、横目に伺えば夏希に右から三番目の女の子を見ていた。例の後輩なのだろう、時々頷いては微笑んでいる。仲がいいんだな、と思った。声の善し悪しは健二には分からないが、熱心にやっていることはわかり、決して聞き苦しくないし、天使の衣装がずらりと並んだ姿は壮観で、いいなと思う。
 実際に天使を模しているかどうかもわからないのに、ほやほやと聞いている健二は頭がよさそうには見えなかったが、綺麗な黒髪の少女と並んで腰掛けている様子はクリスマスらしく祝福された仲のいいカップルだ。古びているが質のいい飴色の材木の上で、指同士が触れあう。すんなりと長い指が引っ込む前に、細いが鍛えて節の浮かんだ、憧れの君の白い指が絡め取った。
 荘厳なはずの聖夜の歌がただのバックコーラスに変わる。とくとくと高鳴る心臓の音が鮮明だった。遠くで響く歌声を聞きながら、そっと指を絡め直す。いつかの夏のように、双方が離れまいと組み合わさった繋がりの形がそこにあった。
 コンサートが終わって教会を出ても口を利かず、ただ指だけを絡め合う。引かれるまま戻ったのは待ち合わせの場所だ。最初していたミトンの手袋を夏希がしていなかったことに思い至った頃には、想い人は手を解いてツリーの前まで走っている。振り返って言った。
「ねえ知ってる?」
「なんでしょう」
「イブの夜ににこのツリーの下でキスをした恋人同士は、幸せになれるんだって」
 恥ずかしそうな応えが返ってきた。
 夏希が到着するまでの心境を思い出す。知っていて、どぎまぎしながら待っていたと言えば笑うだろうか。
 すぅと冷える手のやり場を、マフラーに添えることで隠す健二を、緊張を隠した笑顔が待っている。しんと冷えた藍色の夜の帳と、ツリーの光に彩られた光景は、健二の人生でこれまでにないほどクリスマスらしく、幻想的だった。
「健二くん、こっちに来て」
 大きなツリーは聳えるほど高く輝いて頂上の星は見えなかったけど、降り注ぐツリーの彩りを纏って微笑む夏希があまりに綺麗で、星が落ちてきたようだ、と思う。
 そんな彼女の正面に立って、健二は遅い返答をする。
「……ええ、知っていました」
 細く息を吐くように囁き、頬に手を添えた。震える手に、下ろした睫毛も同じ動きをする。そっと息を詰めて、距離をゼロにする。
 二人は同じ目線の高さでキスをした。















ウサリス


 時は折しも12月。
 クリスマスの贈り物を抱えた帰り道、たまたま街で見掛けたカズマはファンの子達に囲まれて、プレゼントを贈られていた。複数の可愛い女の子のアバターの手から贈り物を受け取る彼の顔は、傍目にはわからないほどちょっとだけ緩んでいて。
 なんだ、嬉しそうじゃないですか。
 誤解されやすい彼が、皆から尊敬されているのは嬉しいことであるはずなのに、ケンジは寂しさと苦さを噛み締めて足早にその場を立ち去った。
 多分、それがきっかけだったのだと思う。

「愛が足りない」
 としゅんと萎れて親友のサクマに愚痴った。
「は?」
 疑問符を散らしたサクマはすぐにぴんと来たようで、肩に手を回す。今日は身体付きだ。
「キングが素っ気ないのなんていつものことだろ。元気出せって」
「だって!」
 ケンジは彼に会う度、花を散らしたり、笑ったり、真っ赤になったりしているというのに。
「まぁ、お前分かりやすいから」
 断言されてずーんと落ち込んだ。
 ケンジのこの性格は、健二が他人に自分の気持ちを理解して貰おうと、心を開いて砕いて努力した結果が反映されているのだと、かつて健二のアバターだったもう一人のケンジは言っていた。リスのケンジもそれが良いことなのは解っている。
 だが今ばかりは、この明らさまな性格と、分かりにくい彼が憎い。
 たまには目に見える形の愛情がほしいんです。
「でもキングだって色々と分かりやすいぞ?」
「……ホントに?」
「じゃ、試してみる?」
 じと眼のケンジはサクマの下らない提案に、藁にも縋る思いで乗った。
 サクマに言われて茂みに隠れる。その間にサクマはぱぱっと通信でキングカズマを呼び出すことに成功していた。
 公共スペースであるにも関わらず現れたカズマは、いつものポーカーフェイスでぶっきらぼうに尋ねる。
「…何?」
「キング、ひとつ訊きたいことがあるんです」
 敢えて空気を読まないことで一部に有名なサクマは、その評判を遺憾なく発揮して、王者の態度をスルーした。
 ばばーん、と効果音でもつきそうな勢いで、
「ケンジが好きですか?」
 直球を投げる。草むらの中でケンジは息を呑んだ。無口で排他的な彼が答えてくれる訳はないのに、期待している自分がいる。
 カズマの躊躇は一瞬だった。
「――好きだ」
 うひょおとインタビュアーは頬に手を当てた。草の隙間から見える真顔に、どっどっと心臓が突き破らんばかりに跳ね回る。堪らずケンジは真っ赤になってひっくり返った。
 一方カズマの方はもはやサクマに興味を失ったらしい。
「今ケンジさんは数学コミュ?」
「あ、さっきショッピングモールの12番街に」
「そう、わかった」
 訊きたいことだけ訊いて身を沈めると、ばびゅんと空を裂く音だけを残して跳躍。たちまちショッピングモールの方角へ消えていった。
「一顧だにされてねー。さすがキング」
 うんうんと自分の活躍に満足するとサクマは茂みに戻った。そこには真っ赤になってひっくり返る親友2号が。サクマの視線に気付くと、地面に向かって頭を抱えて丸くなってしまった。
「……大丈夫か?」
 全然大丈夫じゃない。顔から火が出そうだ。
「うぅー」
 だがいつまでも唸っている訳にも行かない。もそもそとケンジは起き上がった。
「サクマありがとう。今ならプレゼントを渡せる気がする」
「そいつは重畳。ところでケンジ、一つ提案が」
「提案、ってうよぉ」
 ぐりんぐりんと頭部を撫でられる。遠心力でうよんうよんと声を靡かせながら一言抗議。
「この行為になんの意味が……」
「俺が楽しい」
 きっぱりと言い切って手を離す。解放された頭部を抱えて目線をうようよと回している隙に、サクマに送りつけられたデータでケンジは姿を変えていた。
「キングも喜ぶと思うぜ? それで行ってこい」
「……これ?」
 何の意味があるのかよく分からないが、サクマからのアドバイスの一環だと思ってありがたく受け取っておくことにした。

 有名人の癖にショッピングモールに姿を現したキングカズマに、周囲は騒然だった。遠巻きに見守りながら話しかける猛者はいない。そんなちょっとした騒ぎを気にも留めず、想い人を探すカズマは歩を進める。彼の移動に合わせてぞろぞろと移動する人垣。
 いつの間にか12番街の中心である最大手のデパート前まで来ていた。待ち合わせのメッカだ。鼻をひくつかせ涼やかな視線を見る限りにくれるカズマの後ろから、待ち望んだ愛しい声が届いた。
「カズマくん!」
「ケンジさん」
 ぴんっと耳を立てて振り向いたカズマは目を丸くした。赤い上着に揃いの帽子、サンタクロースの衣装を纏ったケンジがぜいぜいと息を吐いて立っている。それもそうだろう、身の丈を超える大きな白い袋を肩に掛けているのだから。
「カズマくん、足早いです……」
 言いながら、袋から自分の胴体ほどもある――つまりはキングには大きめだが充分適当な規格だ――ラッピングされリボンを掛けられた箱を取り出す。
 ケンジは途轍もなく愛らしく頬を染め、掲げるようにして箱を差し出した。
「メリークリスマス!です!」
 なんていうか、あなたがもうクリスマスプレゼントです。等と恥ずかしげもなくOZの王者は本気で想った。

 思い切って、腰を直角に折ってプレゼントを差し出しながら、心臓をばくばくと鳴らす。
 観衆の視線を集めているのはわかっていたが、カズマを前にしたら気にもならなかった。何せ、改めて考えてみるに初めての贈り物らしい贈り物だ。ちょっとしたプレゼントなら互いに交換してきたが、イベントに乗じて想いを届けるのは初めての経験だ。
(受け取って下さい……!)
 すっと、掌から重さがなくなった。
 顔を上げれば、カズマが穏やかな表情で自分を見つめている。
「ありがとう、ケンジさん」
 慈しむような光を湛えた目に自分が映っている。それだけで彼の深い愛情を感じ取れるというものだ。  傍目に驚愕をもたらすほどほころんだ表情に、コスプレ状態の自分も忘れてすっかり報われる。

 ピンク色のオーラをまき散らす二人の写真が『ウィークリーOZ』の一面を飾ったのは、翌24日の話だったとか。















ウサリス〜サクマver〜



 主人達がログアウトした後、呼び出しや用事がなければ適当な公共スペースの端に座って、やくたいもない雑談を交わす。それが久遠寺高校物理部所属アバター達のよくあるパターンというヤツだ。
 今年入った仮ケンジには所謂お付き合いをしている相手がいるものの、こうして大概の空き時間はサクマと潰している。鈍いだけでなく友情に厚いヤツ、というのがサクマの評価だ。
 その日もサクマは例の場所で雑談相手を待っていた。ほどなくやって来たケンジは力なく隣に座ると、挨拶もそこそこに重苦しく第一声。
「愛が足りない」
 ばばーんと効果音が尽きそうな気配でケンジは言った。
「…は?」
 疑問符を飛ばしたサクマ(注:身体付)は、しゅんと萎れた親友2号の様子にぴーんと閃いて慰めるように背中を叩いた。
「キングが素っ気ないのなんていつものことだろ。だってキングだぞ?元気出せって」
 あの無愛想で不器用なキングが、そうそう人前でデレる訳がない。
 だって、と言い募る内容を聞くに、自分はお相手に話しかけられる度花を散らしたり赤くなったりと忙しいのに、お相手は全く表情を変えないのが不満らしかった。
 確かに彼らの会話は、一見一方通行だ。
「まぁ、お前分かりやすいからなぁ」
 ケンジは縦線を背負って落ち込んでしまった。本当に好かれているのか自信を無くしたのだろう。
(ガチで分かりやすいなぁ、オイ)
 いっそあからさまだ、と苦笑する。
 ケンジのこのあからさまと言っていい程の性格は、マスターである小磯健二が通信相手に自分の気持ちを分かって貰おうと、心を砕いて感情表現コマンドを多用した結果が反映されている。
 そう指摘したのは親友1号――もとい本来の小磯健二のアバタ――で、確かに彼と比べると、新しくアバターになった仮ケンジは脳天気で憂いがない。かつて隣にいた親友1号の、風に吹かれる柳のように拭いきれない寂しさは個人アバターの任を離れて薄れていたものの、以前のマスターを語る時の眼は遠くに焦点を結んで揺れていた。表情が微笑んでいたって、それくらいは分かる。寂しいんだろう、彼は。
(主人の憂いを癒すのはアバターの仕事じゃないってのに、律儀なことで)
 仮ケンジにはまだこの感情の機微はわっかんないだろうなぁ、と苦笑が漏れる。彼――設定上のカテゴリは「無性」だが一人称に則って「彼」とする――に理解できるのは、せいぜい彼我の性格の差は喜ばしいことらしい、ということくらいか。主人も前任者も何だかんだで自分自身に関しては鈍かったし、これは「けんじ」一門の宿命かもしれない。
 ま、それはそれとして。
 現在ケンジのちっさい憂いを最大限にまで引き上げているのが、例のお相手であるキングカズマの態度ということだった。
(どうしたものかね)
 うーん、と首を捻りすぎて頭部が離れた。あ、戻そ。
 この場合の問題は、相手に対する素直な好意を表現するのはいつもケンジだということだ。クールな上に、佳主馬のOZ内におけるキングとしての活動方針もあってコミュニケーションに慣れていないカズマは、感情の吐露を苦手とする。ケンジもそれはよく知っていて、それを読み取るのが唯一隣を与えられている己の特権だといささか誇らしく思っている要素のようなのだが……。
 それでも、先日見た光景は堪えたらしい。
 特に囲んでいたのが可愛らしい女性型のアバター達だった、というのが主因のようだ。
(それもなぁ)
 ネタを知っているサクマとしては苦笑しか出てこない。
 OZ内のコミュニティには、仮ケンジ個人を対象とするファン専用のコミュニティが存在する。その存在が本人に知られていないのは、偏にキングカズマの暗躍によるものだ。自分以外の者がケンジを愛玩するのが許せないのだろう。ケンジのファンには見た目のブサかわいさが受けて女性が多いから、その点もキングには立派な懸念材料だ。OZ内にまことしやかに噂を流して(ラブマシーン事変での活躍を思えば決して噂とは言い切れないのだが)、ケンジをキングに並ぶ守護神・ウィザードとして仕立て上げ、不名誉な噂から彼をシャットアウトしたのは王様だというのに。
 キングにプレゼントを渡したのはウィザードファンクラブの代表者だ。ケンジへのアイテムの引き渡しはキングカズマを窓口とするように通達されている。二人の”カズマ”が権限と知名度を行使して配備した連絡網に、善意で「元犯人・けんじ」の情報を隠蔽しようと四苦八苦してた主人が嘆いたのはもう遠い思い出だ。情報秘匿のために組まされたプログラムが一切無駄になった労苦を思うと、サクマも良い思い出だとは死んでも同意できない。
 けれど、今回はそんなキングの裏工作が裏目に出たようだった。
 膝を抱えるケンジを横目に見遣る。僕ばっかり好きみたいだ、と内心で凹んでいるのだろう。
 拗ねた眼をする親友2号の気持ちも分かりつつ、コイツも鈍いなぁ、哀れキング、とウサギの友人を可哀想に思ったサクマは、友人達のために仏心を出すことにした。
「でもキングだって相当わかりやすいぞ?」
「……ホントに?」
 あーらら、これは重傷。一番キングの気持ちに通じているのは自覚しているだろうに、ただし恋愛面以外で、と各々の苦労を寸評し、頭部を切り離してくるくると正面に回る。
「じゃ、試してみる?」
「何を?」
「いいから、ちょっと隠れとけって。キングの心境ってヤツをそれとなく訊いてやるから」
 クリスマスも近いので、ちょっくら聖人様に倣って仏心を出すことにしたサクマであった。あれ、聖者に仏心ってあるのか?


 見事キングにケンジの前で愛を認めさせたサクマは、早速荷物を背負って追いかけようとする親友2号をふと呼び止めた。
「あ、そうだ。ケンジ」
「何?」
 振り向いたケンジはサンタコスだ。うん、我ながらいい仕事をした。
 満足したサクマは、あくまで軽い気持ちで尋ねる。
「キングへのプレゼントは何にしたんだ?」
「えーと、ニットの帽子とベスト。値段は張ったけど、店頭で見掛けて似合う!って直感したんだ」
 前に解いた数学パズルの懸賞金が余ってたしちょうど良かった、と照れて笑う小さい親友の姿を、思わず凝視する。
「恋人の初プレゼントに服を選ぶとか、勇者だな。お前」
「? なんで?」
「いや、何でもない」
 軽い質問に恐ろしい答えが返ってきた。背中に伝う冷や汗を感じながらぶるりと頭を振る。
「そのまま純粋でいろよ」
「何が言いたいのかわかんないけど……じゃあ行ってきます。サクマ、ありがと!」
 自分は王様にとんでもなく美味しい御馳走を届けてしまったかもしれない。
 着る前には脱ぐ。これは常識だ。
(ケンジ、強く生きろよ)
 笑顔で手を振って駆けていくリスの冥福を、サクマはそっと祈った。















佳健(高校生×大学生)



 サプライズとは予期せぬから起こりうるが、だとすればこれほどのサプライズもそうあるまい。玄関の扉を開けて凍り付いた佳主馬の目に飛び込んでいたのは大きすぎる赤い箱。まるで人一人入りそうな――そう、同居人でも隠れ潜んでいそうな。これで中身がDNAのサンプルを隙間なく詰めた正真正銘「赤い箱」だったら笑えないな、と生活柄サブカルに造詣の深かったりする思考は冗談を飛ばしてリボンに手を掛ける。銀色のラメで縁取られた緑のリボンをしゅるりと外し、箱の一辺をしげしげと観察。ちょいと飛び出た輪っか状の紐が取っ手だろう。つるっつるの赤いプラ板を組み立てた箱は偽物みたいで、コントにも出てきそうな胡散臭さを醸し出している。
 でも、この中に健二さんが入っているんだろか、とわくわくしながら紐を引っ張る佳主馬には正真正銘どきどきびっくりのプレゼントでしかない。罠が仕掛けられててもいい。だって中身はきっと健二さんだし。
 罠の確率を認識しながら総無視してぱたんと上面を開けた。
「……やぁ」
 思わずぱたんともう一度閉じそうになる。どきどきびっくりだった。どきどきびっくりだった!
 胸中で叫んでから、改めて箱の中を見下ろす。
「何、やってるの?」
「それを言われると辛いんだけどね……。取り敢えず手を貸してくれる?」
 腕を伸ばす彼を慌てて掴んで引き揚げる。「よっこいしょ、」と所帯じみた掛け声を付けて立ち上がって、佳主馬を見ていつものように顔をほころばせる。ああ、帰宅時のあなたの笑顔が俺の癒しです。ただしその格好でいつもの笑顔は心臓への打撃が大きすぎるのでやめてくれませんか。
「お帰りなさい、佳主馬くん」
「うん、ただいま。健二さん。じゃなくて、なんで、それ?」
「うーん、テンプレって言い切ってしまうには世間のクリスマスの定番に失礼だけど、今回は勘弁して頂くとして。要は佐久間のお節介かな?」
「プレゼントは健二さん……ってこと?」
「うん、まぁ、クリスマスだし」
「まだイブだけどね」
 「そうだっけ?」と健二は首を傾げ時計を見る。
「佳主馬くんが帰ってくるのが早いんだよ。12時を回るって言ってたのに」
 それはあなたに一刻も早く会いたかったからだ、と仮装する恋人の姿を前に表面上は冷静でも深く混乱する褐色の青年に、健二はにっこりと笑みを形作った。
「まぁいいや。大した誤差じゃないし。時計を持ち込まなかった僕に敗因があるしね。メリークリスマスイーヴ!」
「……メリークリスマスイヴ。健二さん」
 疲れて乾いた声に、真っ赤な上衣だけを羽織って日に焼けていない生足を存分に晒した髭なしの突発サンタクロースは、上機嫌に笑い声を立てた。


「で、なんでこうなってるのかな?」
「クリスマスの定番といったらこれでしょ。聖夜に愛を確かめ合うのは恋人たちの常識だよ」
「それ、世間様の常識に大分失礼だよね……」 
 冷静に指摘する健二はご丁寧にも絨毯の上に押し倒されていた。まさか普段は賢い恋人がこんなあっさり乗ってくるとは。
「言っておくけど、一応冗談のつもりだったんですけどね?」
「冗談じゃすまないよ健二さん。そんなエロかわいい格好でプレゼントされて、何もされないなんて想定してた筈ないでしょ?」
 エロかわいい、の部分に反論しようかどうしようか迷って、流した。佳主馬の審美眼の是正を試みてすげなく却下された回数は両手の指を超えている。
「そりゃ、ないけど…。佳主馬くんはもう少し賢いと思ってたよ」
「あなたは世間の高校生男子を舐めてる」
 きっぱりと言い切って上着の中に手を滑らせる。いや、舐めてたのは君の性欲ですけどね?
「なんでもかんでもそっち方向に結びつけて……僕の頃はそうじゃなかったのに。最近の若者の乱れは嘆かわしいなぁ」
「健二さんが淡泊すぎただけでしょ。中学生に奪われるまでロクに研究もしなかったなんて。仙人かと思ったよ、俺」
「佳主馬くんは研究しすぎです! なんだったのあの男専用テク……」
「当然でしょ。最初から健二さんに使うつもりで習得したんだから」
「わーわー聞こえないー」
 耳を塞ぐと、荒々しく唇を奪われる。ああ、食べられそう。
 ぺろりと唇を舐めた彼は凄絶な微笑をかたどって、ぐっと声に艶を滲ませる。耳に滑り込むそれに尾てい骨が痺れる錯覚を得る。
「俺の好きにしていいんでしょ? プレゼントだし」
「……うん、プレゼントだし」
「素直。男心をくすぐるね」
 「泣かせたい」と囁く声にびびると、「冗談だよ」と可笑しそうに嘯いた。
 ああ、でも目が笑っていないよ、佳主馬くん。藪蛇になりそうだから指摘しないけど。
「まぁ、僕も一応男だし…その。たまには、ね」
「何? どうしたの」
 太股をあやしく撫でる手を止めて、若干心配そうに覗き込んできた佳主馬にほっこり心が温まる。君のそういう心配性なとこ、好きだなぁ。
 頭を引き寄せて額をこつりと鳴らし、目を合わせて宣言する。
「ふつつかなプレゼントですが、よろしくお願いします。最後の一滴までお召し上がり下さい」
 たまには自分から誘ってみようかな、なんて勇気を出してみるわけだ。
「……最高のプレゼントだよ」
 イタダキマスと礼儀正しく言った眼に宿る獣の光に、ちょっと大胆すぎたかなーと後悔しないでもなかったのは、余談ということです。

 




 開きっぱなしの回線からは、聞くに堪えない恥ずかしい声が漏れている。
「――玄関を開けるまで俺と話してたことは、忘れてるんだろうなぁ」
 通話状態の携帯をデスクに投げ出して、遠い目をする。驚きっぷりを一声ぐらい確認しようという軽い悪戯心だった。帰宅時刻を狙って電話を掛け暫く世間話を交わしていたのだが、鈍い親友に振り回されている年下の友人への佐久間特製プレゼントを目にした佳主馬は、通話相手のことをすっかり思考から消し去った上に、突発事態に携帯を適当にその辺に放っておいた――電源ボタンを押すことも忘れたまま。
 嬌声が筒抜けだと知ったら、親友は憤死するだろう。
(ま、健二もご愁傷様ってことで)
 情事を垣間見てしまうのは、初めてではない。
 軽く肩をすくめてPC画面に視線を転じる。
 OZではサンタコスを着たリスとキングカズマが人目も憚らずイチャイチャしている。確かあのコスチュームは、ケンジをカスタマイズしない健二に、親切心で贈ってやろうと佐久間が購入した物だった筈だが。
 己のアバターは主人と同じ働きをしたようだ。アイツは去年も一昨年もこんなことをしていたような気がする。
 頼りない親友を構いたいのは、OZの中でも一緒か。俺等、貧乏くじ引いてるかもな。
(楽しいからいいけど)
 じゅーっとパックのカフェオレをストローで吸い上げた佐久間は、取り敢えずキャプでも取っとこうかな、とキーボードを引き寄せて操作を始めた。